大好きだったビジネススクール時代の教授の写真を久々に見た。ますます優しそうな顔になっていた。(James Austin)

James Austin --- HBSの社会起業系カリキュラムの生みの親。私をピッツバーグの老人ホームに送りこんでくれた人。大学院2年目の"Entrepreneurship in Social Sector"という科目は、私の進むべき方向を暗示していた。

にも関わらず私たち受講者は不熱心で、予習不足でクラスを崩壊させたこともある。忘れられない。あれはラテンアメリカの貧しい村で、ゴート・ミルクを使った乳製品を生産して地域を活性化するというケースだった。当時私はラテンアメリカに興味を持てず、一次産品を活かした活性化にも関心を持てなかった。

他の受講者も同様だったのだろうか。HBSの学生も、クロスレジスターしていたお隣のケネディ・スクールの学生も、あまり手を挙げて発言せず、議論は低調だった。

クラスが残り15分ほどになったとき、Austin教授は言った。

「で、このビジネスははたして収益を上げることができるのだろうか?」

誰も手を挙げなかった。

私は焦った。ノートを見返した。しかし私は極めて中途半端な経済計算しかやってこなかった。クラスで発表できるほどのものではない。躊躇した。

10秒ほど沈黙が続いたのち、Austin教授は悲しそうな顔で"O.K. ..."と言って、議論の論点を変えた。教授自身の経済計算を示すこともなかった。(HBSでは教授は基本的に、自分の意見を言わない)

あの悲しそうな顔を今でも忘れられない。

グロービスの受講者が経済計算をしないのを見るたびに、あの顔を思い出す。

自分が支援している社会起業家が収益性について相談にのってほしいと言うたびに、教授のことを思い出す。

東北で被災した故郷のために立ち上がり、一次産品を懸命に作り、売っている起業家に出会うたびに、私が十分に予習をしなかったあのケースを思い出す。

社会にインパクトを与える事業が、同時に経済的にも採算の取れる事業であることを祈る時に、かすかに心に痛みが走る。
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