岡本太郎が母である岡本かの子のために作った文学碑がある。
http://www.taromuseum.jp/…/taro/otozureru/a_7_2b/a_7_2b1.htm
どうして岡本太郎がこの像に「誇り」という名前をつけたのか知りたくて、岡本かの子の書を読み始めた。

度肝を抜かれた。

恋愛に、そして仕事に、すさまじく命を燃やす人物像が描かれている。暴走している。どの短編も最初は読みにくいが、次第にひきこまれ、目をまばたくことも許されないほどの展開を見せ、そして衝撃の結末を迎える。

岡本太郎によれば、母のかの子は「異常なほど激しい情熱家で、ロマンチストだった」「彼女は激しく求めて凶暴なまでに悩んだ」(岡本太郎「芸術と青春」)やがて若い男性に恋愛対象を求め、どの男性を同居させた。

かの子が作品の中に、登場人物が詠んだ歌として刻んだ短歌がある。

「年々にわが悲しみは深くして
いよよ華やぐいのちなりけり」

自分自身の心境を詠んだものだろう。

異性との恋愛以上に私の度肝を抜いたのは、息子である岡本太郎に対して送った手紙の数々だ。太郎は絵画の勉強のためにフランスに行ったきり帰ってこない。その太郎に、かの子は手紙を送り続ける。

ある日の手紙には、このような文章が刻まれている。

無事に帰ったよ。お前の居ない家にね。お前の居ない家へだよ。そしてごはんたべたり便所へはいったりしているよ。洋服を着てるよ。(中略)誰も太郎さんはと聞くよ。ぐっと胸がつまるのでそれに反抗して反身(そりみ)になっちまうよ。涙が出るから気どってごまかして、どうもかえりませんのでと前置きするよ。そのあとの説明は推察しなさい。パパおとなしいよ。いい子だよわり合いに、お前の事考えて時々ぼんやりしてるよ。そして二人でとしよりみたいに子の無いことことの愚痴を云うよ。察しなさいよ。


そして私はついに、岡本かの子が「誇り」という言葉を使った手紙を見た。岡本太郎の絵画がフランスで評価を得始めたころの手紙だ。

オサケ。あんまり呑むと血圧が高くなるから養生して長生きしておくれよね。太郎はなんと愛らしき太郎であるよ。しかも尊敬すべき太郎である事よ。わが子ながら時々芸術では師のようにさえ感ずる。立派な芸術家をたった一人子に持てる女性のほこりとよろこびと幸福をしみじみ感じる。
(ちくま日本文学「岡本かの子 1889-1939」)


岡本太郎は亡き母のために「誇り」を創った時に、この手紙の文章を思い、涙を流しながら作り上げたのではないだろうか。そんな気がする。