サントリーの「頂(いただき)」の広告動画が不快だということで炎上した。一方で、「この動画の何がいけないのか」という逆の怒りの投稿も、私の周囲で多かった。

4種類の反応があったように思う。

・肯定的意見:「この動画の何が悪いのかわからない」
・否定的意見:「不快極まりない」
・中立的肯定:「あまり良いコンテンツとは思わないが、社会から排除する必要はない」
・中立的否定:「自分は嫌いではないが、このコンテンツに嫌悪感を持つ女性が多くいることに配慮すべき」

では、上記4種類の人たちが共存し、幸せに生きていける社会はどうしたら作れるのだろうか。私は動画が経営に与えたインパクトより、社会的共存に関心がある。Facebookに投稿したところ、多くの方からコメントをいただいた。それを受けて、自分の意見も大きく変わっていった。

最初は、不快感を持つ女性に対するSensitivity(心の痛みを理解する力)を、特に男性の方が持つべきだと考えていた。

次に、このような不快感を与えるコンテンツが「不快感を持つ女性の目に入らなければ良い」と考えるようになった。アダルトコンテンツと同じで、別の世界で見たい人が見ればいい。それを批判してシェアするから、結果的に非ターゲット層の女性の目に入るのではないかと考えた。

しかし議論をしながらも、気になっていたことがある。それは、私の書き込みに対する女性の「いいね!」が非常に少なかったこと。かと言って異論、反論を書きこむ女性も少なかった。私は首をひねっていた。

そんなときに、複数の女性が私に直接メッセージを送ってくれた。反論を書こうと思ったが、書きこみにくかったと。その女性が「頂」動画に嫌悪感を感じた本当の理由は…

・男性と2人で飲みに行った後に、関係を迫られた不快な経験がある
・それは自分だけでなく、多くの女性が同じような経験をしていて、それで「頂」動画に嫌悪感(というより、フラッシュバック)があるのではないか

このメッセージには、考えさせられた。

自分は、この動画に嫌悪感を持つ女性の考えを、表面的にしか理解しておらず、その奥に存在する構造的課題(組織内のセクハラ、取引先に対する優越的地位を活かした関係の強要など)の全体像を理解していなかった。

そして表に出てこない女性の怒りは強く、絶望感は深かった。

お酒を飲んで、旅先の女性といい感じになって…という男性の脳内ファンタジーと、過去の心の傷を蒸し返された女性の怒りと…この2つのインサイトが交わり相互に理解されることは永遠にないのだろうか。個人的な経験を女性がWebに書きたくないのは当然だ。しかし結果的に、男性の罪悪感を欠いたセクハラ的言動や、ひどい場合には性犯罪に近い振る舞いは、防止されることなく続いていく。

このままで良いはずがない。
握手