勝海舟の交渉力がすごい、という話。

歴史が好きな人ならご存知かと思う。西郷隆盛との交渉、一日目は大した交渉をしていない。戦争が起きた時の、和宮(天皇家から徳川家に嫁いでいる)の処置について話し合っただけだった。

江戸総攻撃停止の議論は、二日目に一気に決めた。

ここで疑問がわいてくる。勝海舟にとって一番大切なのは、官軍の江戸総攻撃を止めることであるはず。ならば勝海舟はどうして、西郷隆盛と会って最初に、その話をしなかったのか。

ここから先は私の妄想でしかないが…。

勝海舟は、淡々と和宮の話をするだけで初日の議論を止めることによって、「全面戦争の覚悟がある」ということを西郷隆盛に無言で伝えようとしたのではないだろうか。

実際に勝海舟は、戦争の準備を進めていた。徳川軍自ら江戸に火をつけ、進軍する官軍自らの江戸入りを妨げる。そして同時に、船を出して江戸川を往復させ、焼け出される江戸の民を救出する。勝海舟は、任侠の親方や火消しの頭などをたずねて回り、協力を依頼して回っていた。
(松浦玲「勝海舟」中公新書1968年)

交渉術の学習をした人なら、ピンと来ることと思う。自らのBATNAの開発である。

BATNAとは、Best Alternative to the Negotiated Agreement。つまり、交渉決裂時の「最善の別の選択肢」のこと。勝海舟は徳川のBATNAを徹底的に高め、勝負の交渉に挑んだ。しかも本当の勝負は2日目に回し、1日目は全面戦争の覚悟を西郷隆盛に(無言で)伝えることのみをゴールにしたのではないだろうか。

勝海舟はもちろん、交渉術を学んだわけではない。しかし剣と禅で鍛え上げたためだろうか。自分の心を完全に高め、100%の状態にした上で交渉に臨むことの重要性を、理解していたようだ。

「もしこのような手配をしなければ、14-15日両日の面談の際に、自分の精神は活発に動かなかっただろう(予が精神をして活発ならしめず)。」

(勝海舟「解難録」より。松浦「勝海舟」p-174の原文より、山中が現代語訳。なお、14-15日は、13-14日の誤り)

直前ギリギリまで自らのBATNAを高めることによって、自らが弱気な交渉者になることを避ける。心を高めて、勝負に備える。

歴史から学べることが多い。