グロービスのベンチャー系講師陣で「MBA生に何を一番伝えるべきか」を議論していた時に、石川講師が「Resourcefulness」というコンセプトを提唱した。その時以来、Resourcefulnessをしっかり伝えるということが、ベンチャー系講師陣のコンセンサスになっている。

Resourcefulnessとは、与えられた資源の範囲内でチマチマ勝負するのではなく、何もない(無)ところから「有」を産み出す姿勢である。「リソースフルな思考」とはすなわち、あらゆる固定観念を飛び越えてアイデアを創出する思考だし、「リソースフルな行動」とは次々に外からリソースを巻き込み、イノベーションを起こす行動姿勢だと言える。

アントレプレナーシップの根本に、このResourcefulnessがある。

Resourcefulnessには、良い日本語訳がない。ないなら作ればよいと思い、「創資力」とか「拓道力」など考えてみたが、どうもしっくりこない。

そもそも、日本語訳がないということは、日本人の精神性とマッチしないところがあるのだろうか。何か近い日本語、または漢語がないものだろうか。そう考え始めて、3か月ほどが経った。

そんな中で出会った言葉がある。

「無一物中無尽蔵」(東披禅喜集)

「無一物」というのは、「本来自分は何も持っていない」という意味であるようだ。自分が持っている肩書きも、資産も、社員たちも、全ては諸行無常の移ろいの中で消え去るもの。「持っている」と考えるのは幻想にすぎない。
しかしそんな無一物な自分が、実は無尽蔵の何かを与えられている。太陽。水。家族。友人たち。恩師。何から何まで、天に与えられ、私たちは生かされている。

自分が「無一物」だと自覚した時に、実は自分は「無尽蔵」だという事実に気づく。

以上は非常に抽象的な話。具体的にどういう心を私たちは持てばよいのか。

そう考えると、まずはシンプルに「祈る心」「拝む心」を持ちたいと私は思う。「外部のリソースを、うまく巻き込んでやれ」と考えるのではない。自分を生かしてくれる全ての生き物や人や自然に対して、手を合わせて感謝する気持ち。「自」と「他」を区別して「他」を利用するのではなく、広大な海の中の一分子として生きる「自」を認識すること。

これが、日本人らしいResourcefulnessのあり方なのかもしれない。

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