ディベートを学んだ人間が、「首相は靖国神社に参拝すべきか」という論題についてガチンコで議論したら、どうなるでしょうか。靖国参拝「肯定側」と「否定側」に分かれて戦った時にどのように勝敗が分かれるか、4つの可能性を提示したいと思います。

なお、私は中学から大学まで10年間英語ディベートをやってきましたが、ディベートの全てを知っているわけではありません。また靖国参拝の問題についても、知識不足の面が多々あることと思います。ご容赦の上、ご批判いただければと思います。

可能性1)単純なメリット / デメリットの比較で否定側が勝つ

ディベートの議論の基本は、メリットとデメリットの比較です(Net-benefit Analysis)。つまり靖国参拝によって、世界が少しでも「良くなる」(メリット)効果と、「悪くなる」(デメリット)効果を比較し、勝敗を決めます。

靖国参拝の「メリット」は抽象的で、世界が / 日本がどう「良くなる」のか議論するのは困難です。従って、靖国参拝否定側が勝ちます。「アジア近隣諸国との経済活動が損なわれる」というデメリットが明確だからです。

初心者同士がディベートをした場合、この可能性が最も高いと私は思います。

可能性2)単純比較を超えた「判断基準」を提示して参拝肯定側が勝つ

メリット / デメリットの単純比較を超えた価値基準、判断基準(Decision-rule)を提示して、参拝肯定側が勝つ可能性があります。

肯定側はこう議論します。

・首相が果たすべき役割は、単純にメリットの大きい政策を取ることではない。単一の政策からもたらされるメリットが見えないとしても、首相が取る「べき」行動がある

・その一つは、国民の精神を代表し、象徴的な行動を取ることである(シンボリック・リーダー論)

・日本人は伝統的に、死者に対する恐れや敬意を大切にする精神を持ってきた

・靖国神社には、不幸にも戦争に巻き込まれた多くの戦没者が祀られている。一部のいわゆる「戦犯」が含まれているとはいえ、この「精神」を否定する理由にはならない

・従って首相は、国民の先頭に立って靖国神社に参拝し、戦没者の魂に拝礼して「今、ベストの日本を作る」ことを誓うべきである

この議論は「精神のあるべき姿」を論拠にしています。「メリット」を論拠にした参拝否定側の議論とは、全く別次元の議論です。

ここで勝敗を決めるのは、最終的な「判断基準」(Decision Rule)です。肯定側と否定側は、総理大臣が意思決定をする際に最も重要な判断基準は何か、議論することになるでしょう。

参拝否定側は、「国民生活の幸福(Net-benefit)最大化」を挙げます。一方で参拝肯定側は、「メリット / デメリットを超えた精神的な義務を果たすこと」を挙げます。審判がどちらに説得されるかで、勝敗は変わってきます。

参拝否定側は、「精神的な義務は、抽象的である」「そもそも国民全員の価値観が、靖国参拝に向けて統一されているわけではない」「日本が経済を必死に立て直している現状においては、精神性よりもプラグマチックな『生き残り』こそが、日本にとって重要である」と議論するかもしれません。

一方で参拝肯定側は、「その国家ならではの精神性や理念を守る国家だけが、超長期的には存続、繁栄する」と議論するかもしれません。

この「判断基準」(Decision-rule)を巡った議論を論理的に決着させるのは、熟練したディベーターであってもかなり難しいと、私は思います。どちらのDecision-ruleも妥当性を持っています。どちらが「より重要か」を決めるためには、Decision-ruleの重要性を比較するためのメタレベルのDecision-ruleが必要であり、それが何なのかは高度な政治哲学的議論になってくるかと思います。

しかし、実際のディベートの勝敗は、このような深い議論に到達せずに、もう少し簡単な以下の「飛び道具」で決着するかもしれません。

3)可能性3:Plan-Spikeで参拝肯定側が「デメリット」を切る

首相の靖国参拝が外国の不安や怒りを巻き起こしている背景としては、「首相の説明不足がある」という議論を、靖国参拝肯定側は展開できるはずです。

(ここ、山中の個人的な意見が混ざります)
海外のメディアは、「靖国神社」を「戦犯が祀られている」という枕詞とセットで報じます。つまり世界から見れば、「靖国神社」=「危険な右翼的な神社」というイメージが定着しているように思います。

そのイメージを緩和し、以下の2点を強調し海外に丁寧に伝えることで、靖国参拝の「デメリット」をある程度防げるかもしれません。

・不幸にも戦争に巻き込まれた多くの戦没者が祀られていること
・死者を大切にする精神文化を、日本が持っていること

具体的には、首相が特別な記者会見を開き、英語でスピーチをし、村山談話を引き継ぐという方針を再再度語りながら上記の2点を伝えれば、中国・韓国、さらに米国が持つ印象も大きく変わってくるかもしれません。

このようなアクション、つまりデメリットを未然に防止するアクションをディベート用語でSpike Planと言います。肯定側が、デメリットを切るための武器として機能します。

論題のアクション(首相の靖国参拝)と同時に取れるSpike Planで防がれるようなデメリットは、本質的なデメリットではないので、さほど心配しなくて良いと、勝敗を決めるジャッジは考えます。

ただし参拝否定側としては、このようなSpike Planの実効性を攻撃するでしょう。「いかに丁寧に説明しても、近隣諸国は感情的に反発する」と議論するかもしれません。ここは一つの議論の焦点になる可能性があります。

可能性4)カウンタープラン(対抗案)を提示して、否定側が肯定側の論拠を横取りする

否定側は、「靖国参拝」以外の方法で、首相が日本人の精神性を発揮する別の手段を提示することができます。ディベート用語で、カウンタープラン(対抗案)と言います。

例えば、「戦犯が合祀されていない、政府管轄下の戦没者慰霊施設を建築し、そこに頻繁に参拝すべきである」という議論です。このカウンタープランが、「靖国参拝」の趣旨を汲み取り、かつデメリットを防ぐことができるならば、否定側が勝利します。

一方で肯定側としては、このカウンタープランを様々な角度から攻撃することになります。「施設を作れば(宗教的行事なしに)そこに霊魂が移動するという考え方を、日本人は許容しない」「新施設の建築が靖国神社を否定した行為と解され、多くの人々やメディアのバッシングを受け、結局新施設の正当性が否定される」などの攻撃を、否定側が出したカウンタープランに加えるかもしれません。

また、以下のような議論も、肯定側からは可能かもしれません。

「時間をかけて新施設を建築することは妥当だが、同時に今、靖国神社に参拝することも実行すべきである」

これは、カウンタープランと肯定側の「靖国参拝」の同時実行(ディベート用語で言う”Both-adoption”)こそが、ベストのポリシー・ミックスであるという考え方です。この場合、カウンタープランが良いプランであっても、「参拝肯定側」がディベートでは勝利することになります。

以上が、私が思いつく4つの勝敗パターンでした。

(その他の論点)

上記で私が触れなかった論点が、いくつかあります。

一つは、「靖国神社に祀られている『戦犯』は、本当に否定されるべき人々なのか」という議論です。議論の分かれる論点かと思います。おそらく、以下のような議論が出ると思います。

「全員のA級戦犯が戦争の責任を負うべきとは言えない。広田弘毅のように、戦争を防ごうとした人たちも東京裁判の結果「A級戦犯」とされている。」(参拝肯定側)

「一部、大きく戦争に責任を負うべき人はいる。昭和天皇も、戦犯合祀に不快感を示し参拝を取りやめた」(参拝否定側)

結局明確に黒 / 白はつかない論点かと思います。

ただ肯定側としては、「戦争に責任を負う人が『一部』含まれていたとしても、大部分の方々の霊魂に対して礼拝することの正当性は否定されない」という議論が可能です。

また否定側としては、「少なくとも海外からは『戦犯が祀られている神社』と認識されており、靖国参拝のデメリットは否定されない」という議論が可能です。

つまりこの論点は、勝敗に強い影響を与えない可能性が高いかと思います。

もう一つの論点として、歴史観の問題があります。太平洋戦争自体をどう捉えるかという問題です。

端的に表現すれば、「日本が引き起こした侵略戦争である」という見方と、「欧米の植民地支配に対抗して日本が『大東亜共栄圏』を作ろうとし失敗した」という見方の衝突です。

これについても、「靖国参拝」のディベートの勝敗には大きな影響を与えないかと思います。「靖国参拝」とは別の論題を設定し、幅広いファクトに基づいて徹底的に討議し、国民全体の理解を深める必要があると、個人的には思っています。

以上、長々と書きました。最後まで読んでいただいてありがとうございます。

「肯定側」と「否定側」が、感情的に対立しています。互いに圧倒的な「上から目線」で相手を批判し、自分の意見を強化するファクトばかりをネットから拾い集める傾向があります。(おそらく私自身も、そのような傾向から逃れられていません)

このような時こそ、圧倒的に冷静なクリティカル・シンキングが求められると思うのです。一人の市民として、また一人のインターネット利用者として、広い視野と深い思考を持ったクリティカル・シンカーでありたい。強くそう願う、2014年の新春です。