公立小中学校PTAの在り方を根本から問う声が、広がりつつある。法律上、PTA入会を義務付ける根拠は何もないということ、そして「入退会の自由」を認める声が、広まりつつある。朝日新聞で取り上げられたことの反響も、大きい。(http://digital.asahi.com/articles/TKY201201140378.html

私自身は、2年間子どもの小学校のPTA会長を務めた経験から、「入会は倫理的義務」「活動への参加は任意」というのが、良いバランスではないかと思う。PTA活動への参加を「任意」とすることで、今のPTA活動は大幅に再編成せざるを得ない。しかしこれをやらなければ、日本のPTA活動は崩壊するのではないかと思う。

ちょうど今日のPTA総会で正式に、PTA役員の仕事を離れるようになった今、自分がどう考えているのかを記録しておきたい。(PTA活動に関心のない方にとっては、全くつまらない話題で、申し訳ないです…)

1)PTA活動の意義は失われていない

大前提として、PTA活動の意義は全く失われていないということを確認したい。日本のPTAは、戦後GHQの指導の下に導入された。歴史的には、学校給食の普及や、校内暴力への対応など、様々な役割を果たしてきた。(「このあたりは、PTA再活用論―悩ましき現実を超えて (中公新書ラクレ) 」(川端裕人氏)の受け売りである)

今日ではどうだろうか。地域によって、小学校が抱える問題は多種多様である。私が参加した2010年の日本PTA連絡協議会の研究大会では、「PTAで長年活動した結果、荒れていた中学校がよみがえり、数年ぶりに卒業式を開催できた」と涙ながらに発表するPTA役員がいた。他にも地域によっては、子どもの通学路の交通安全に悩んでいる学校もある。子どもが痴漢、露出狂などの犯罪に巻き込まれないように、パトロールに取り組んでいるPTAもある。私の娘が通う小学校では、PTAの「おとうさんの会」が中心となり、綱引き大会や長距離親子サイクリングなど、思いきり体を動かせる体験を子どもに与えることに、努力している。運動不足の子どもが多い現代の小学校ならでは課題である。また児童数が減少し、過疎化が進んでいる小学校のあるPTAでは、PTA会長がWebマーケティングを展開し、子どもを学区に呼び戻そうとしていた。南三陸町のある小学校のPTAでは、子どもの通学の足を確保するよう、行政への切実な訴えかけが続いている。

時代は変わり、PTAの意義も変わる。しかし、「PTAの意義は失われた」という地域は、私は一度も見たことがない。

2)しかし、PTAが抱える問題は大きい

一方でPTAが抱えている問題は、果てしなく大きい。これについては、前述した川端氏の「PTA再活用論―悩ましき現実を超えて 」が詳しい。やりたくもないPTA活動を強制されて、心身の調子を崩す保護者がいる。PTAの役員や委員を決める時に、壮絶な押し付けあいが発生し、皆が不快な思いをしている小学校も多い。私の近隣の小学校では、「役員決めの会議に、出てこない人がいる」「そういう人が役員から逃れるのは、ずるい」という意見が大勢を占め、欠席者を委員会の委員長にしたという。その新委員長は激怒し、一度も活動に参加せず、その委員会は崩壊した。

このような軋轢が起きている背景は二つあると思う

一つは、共働きの家庭が増えていること。厚労省の統計によれば、1997年時点以降は共働き世帯が専業主婦世帯の数を上回り、その後もコンスタントに数を増やしている。(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2009/06/dl/s0608-11c_0013.pdf)

就業者の人口を増やすことは、日本の経済にとっても望ましいことである。しかし、子どもを取り巻く環境、特にPTAの存在が、そのような環境に適合していない。反省を込めて言うのだが、私の小学校のPTAでも、委員会は毎月平日の午前中に開催されており、働いているお母さんやお父さんにとっては参加が難しい。(ようやく今年度から、週末開催に向けた議論が始まっている)

二つ目の背景は、PTA活動への参加が「義務」であるという大前提である。学校によっては、PTA活動への参加によってポイントがたまり、一定数のポイントを卒業までに稼ぐことが「義務」化されているケースもある。「義務」だから、一部の人が「義務」を果たさないことが許せないと憤る保護者が出てくる。その結果、PTA活動に(義務的に)参加している保護者と、「参加しない」または「できない」保護者との溝は、ますます広まっていく。

では、このような問題を抱えているPTAを甦らせるためには、どうすればよいのだろうか。

3)PTA「任意加入」推進運動の広まり

現在急速に広まりを見せている運動がある。それは、「PTAは任意加入であることを認めよ」という運動である。

そもそもPTA加入が法的な義務となったことは、歴史上一度もない。ただそのことを隠したまま、これまで日本のPTAは活動を続けてきた。であれば、堂々と「PTA加入は任意」ということを宣言して、加入に同意した保護者だけがこれに参加するようにすべきである…というのが、PTA「任意加入」推進者の議論である。

朝日新聞は繰り返し、「任意加入」の特集記事を組んでいる。学校によっては、「PTAに入りません」と加入を拒否する動きも出ている。前述の川端氏も、「任意加入」をPTAや学校が明示する動きを支持している。というより、Twitterなどソーシャルメディア上での活動で、この動きを先導していらっしゃるように思われる。

実は私は川端氏の大ファンで、PTA会長時代は全役員に「PTA再活用論―悩ましき現実を超えて 」を読むことを推奨していた。今のPTAが抱える悲惨な状況と、保護者に与えている異様なプレッシャーを見れば、「任意加入」運動に共感する点も大きい。

4)PTA「任意加入」推進運動のリスク

しかし、私は「任意加入」運動は日本のPTAを崩壊させる可能性が高いと思う。

「任意加入」という概念が広がれば、当然PTAへの加入を拒否する保護者が増えてくる。そうすればますます、PTA会員の負担は重くなり、ますますPTAに入ることが馬鹿らしくなる。そのようなストレスを抱えた組織では、組織のリーダー(役員・委員長など)もますます出にくくなり、リーダー職の押し付けが激化して、ますますPTA会員のPTAに対する嫌悪感が強まりかねない。「任意加入」を認めたPTAは、今後崩壊に向けたスパイラルに入るケースが増えるのではないかと思う。

「それでもいい」という考え方も、あるかもしれない。しかし私は、PTAの存在意義は全く失われていないという考えの持ち主だ。この「崩壊スパイラル」が良いシナリオだとは思わない。

5)そこで…PTA「倫理的義務」論と「活動参加自由」論

そこで、この崩壊スパイラルに入ることなく、しかし劇的にPTA活動を改革する第3の道を探りたい。最善の道は、地域によって、また学校の事情によって異なるかもしれない。しかし多くの小学校では、PTA加入は「(倫理的)義務」と明言した上で、活動への参加強制をやめるのが良いのではないかと思っている。

(ここで私は、「PTA加入」と「PTA活動への参加」という言葉を、明確に分けて使っている。PTAに加入・登録し、PTA会費を払うことが「加入」であり、実際に何らかの活動に参加して時間を使うことが「活動への参加」である)

6)「倫理的加入義務」の根拠

私の所属するPTAでは、PTAの費用が様々なところに使われている。例えば、防犯・防災上重要な「緊急配信メール」のシステムは、PTAの費用によって全校児童分がカバーされている。また教室の安全性を高めるためのガラスの透明化も、PTAの拠出した金額によってまかなわれた。本当は行政がお金を出してくれるのが理想的なのかもしれないが、PTAが資金面で役立っているということもまた、教育現場の現実である。

もし、一部の会員だけがPTA不加入を決めたら…その会員の子どもも結局は、PTAのお世話になるのである。したがって「不加入」は法的には問題ないが、倫理的には問題ある「ただのり」行為だと言われても仕方がないだろう。(ちなみに、PTA会費は月450円であり、経済的負担は非常に小さい)

一方で、PTA活動に参加し、委員会に一度は参加すること…。これも「倫理的義務」と言えるだろうか?私は、そうは言い切れないと思う。前述したように、共働きの家庭も多い。共働きに加えて、親御さんの介護を抱えているPTA会員もいる。子供の教育に悩み、うつや拒食症などの精神疾患を抱える保護者もいる。また、PTAには参加しないものの、他のNPOなどの社会的活動のために、死ぬほど忙しく働いている方もいる。こういった方々に、一律にPTA活動への参加を「義務」づけることが倫理的に正しいのか…私には自信を持てない。

したがって、「PTA加入は義務」「活動は(ぜひ一回は何らかのPTA活動に参加してもらいたいが)義務ではない」という二つの組み合わせが、今の日本の小中学校のPTAにとって、ベスト・ミックスなのではないかと思う。

後者の自由なしに前者の「義務」だけを押し付けることには、私は賛成できない。私は「PTA加入は倫理的な義務だ」と前述したが、PTA加入によりPTA活動への時間投下が義務付けられるとしたら…PTA会員が不幸な生活を「強いられる」可能性がある。このような場合には、PTA加入が「倫理的義務」だと議論することは、難しくなる。つまり、多くの人たちのPTA加入が小学校/子どもたちにもたらすメリットが、デメリット(時間的負荷・負担感など)を上回るという前提がなければ、「加入義務」を論じることはできない。嫌がる人にPTA活動への参加を強制すれば、デメリットが大きくなる。

7)「PTA活動参加自由化」の実例

実際に、PTA活動への参加を部分的に自由化した実例がある。2010年のPTA研究大会で発表していた、千葉県市川市の小学校のPTAである。この学校では、参加者が集まらなかった委員会を次々に解散した。広報委員会を解散し、子どもの安全を守る校外委員会まで解散した。しかしその後、「やはり自分が続けたい」と自主的に手を挙げる保護者が現れ、結果的に委員会活動は存続している。

8)結論:PTA活動の「面白化」と「活動参加自由化」を進めるのがベスト

以上の背景から、私は今、以下のように考えている。

まず、PTA加入を「任意」と宣伝するよりは、「活動参加自由化」(どうしても嫌なら、強制しません…と明言すること)の方が安全な道である。PTA加入を任意化することでも、結果的に自主的でボランティア的な「第二PTA」の確立につながるのかもしれない。しかしそれは、かなりのハード・ランディングであり、健全なPTAの確立にまで時間がかかるように思われる。

であれば、市川市の小学校のように、活動参加を自由化した方が得策だと思う。

ただし、いきなり「活動参加自由」とすると、市川市の小学校以上のハードランディングが起きるPTAが多いだろう。つまり、「何にも参加したくありません」と保護者がすべての活動参加を拒否し、PTA活動が崩壊する可能性がある。

従って、「活動参加自由」を宣言する前に、1-2年かけて改革を進め、PTA活動を「面白い」「楽しい」「魅力的な」ものに変えておく必要がある。

また同時に、PTA活動への参加の負担を和らげておく必要がある。川端氏が著書の中で提唱している「ゆるいPTA」は、多忙な保護者が多い現代のPTAが目指すべき道だと思う。

PTA委員会活動の負担感を和らげ、真に有益な活動だけを行うようにしておけば、その後に「活動参加自由」としても、健全なPTA活動が維持される可能性が高い。

今のままでは、PTAの任意加入論が広がり、日本中のPTAは崩壊へのスパイラルに入る。ソーシャルメディアの力が強まり、そこに朝日新聞などのマスメディアまで乗ってきている現状では、この崩壊スパイラルはかなり近づいているという危機感を持つ必要がある。その中で、どのようにPTAを再生していくか。PTA役員の腕の見せ所だと思う。