連休を利用して初めて、被災地に行った。

訪問先は、南三陸町。最も被害が甚大だった志津川で、その光景(写真)を目に焼き付け、戸倉地区の民宿「ながしず荘」の及川さんや被災地支援活動を継続的にやっている方々のお話を伺った。そして、戸倉地区に移住した友人や、一緒に行った仲間(DREAMGATE起業家カバン持ちチーム総勢6名)と語りあった。
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感想は、と言われると、うまく言語化できない。強いて言えば、「被災」とはどういうことなのか、論理的に頭で理解するのではなく、目で見て、空気を吸い、声を聞いて、心で感じることができたかもしれない。

家の基礎部分だけが、古代の遺跡のように広がる空間。骨組みだけが残った、悲しい防災対策庁舎。流され、ぶつかり合ってペシャンコになり不思議なモニュメントのようになっている自動車。そして小高い丘のように積み上げられた瓦礫の山。このような光景を、自分が同時代に生きる者として見るとは、想像していなかった。sizugawa2-2


現地の状況を見た後で、帰宅後にYoutubeの津波の映像や津波前の航空写真を見ると、その差の大きさが悲しい。無常感が自分を打ちのめす。

この災害が起きた時代に、自分は同じ国にいた。そのことを、頭ではなく、身体的に感じた。

復興に向けて動いている方々は、明るく、論理的で、かつ複雑な思いを抱えていた。様々な矛盾と理不尽にやるせなさを感じながら、それでも自分の故郷のために立ち上がろうとしていた。また、そこに飛び込んだ私の友人も、戦略的かつダイナミックに動いていた。

さて。偶然この時代に生を受け、同時代人として、そして南三陸にいる人たちの友人として生きる自分がやるべきことは何だろうか。簡単には答えが出ない問いだが、これが正しい「問い」だと思った。