私の母校--東京の某中高一貫校の校長に、K先生が就任していたことを知って、驚愕のあまりぶっ飛んだ。容易には信じられない事実だった。

K先生は、現代社会や倫理を教えていた。しかし学問や教育以上に、中日ドラゴンズを愛していた。そうとしか思えない。

教師として高校生を引率していた時の修学旅行のバスガイドと、結婚した。異性と出会う機会が絶望的に少なかった男子校で、K先生の勇敢な振舞いは、生徒たちのロールモデルと言うべきものだった。

当時の普通のアイドル歌手よりは、歌がうまかった。学園祭の最後の「後夜祭」は、K先生のためにあるようなものだった。白いジャケットを着て、サングラスをかけて、歌い踊りまくってるK先生の姿が、今も目に焼き付いている。

私たちのクラスメートが、ある事件に巻き込まれて亡くなった時、クラス全体が沈黙に沈んでいた時に、K先生は「元気出していこう」と、心に染み入る言葉を生徒達に投げた。そしてその後は、いつも通りの軽妙洒脱な授業だった。

K先生の教える倫理は、面白かった。K先生自身が、「倫理」を面白がっている様子が伝わってきて、こっちまで面白くなってしまった。それ以来今に至るまで、私は「倫理」という基準のアヤフヤなものに、魅せられている。

ある放課後、K先生が受け持っているクラスの教室で、K先生が一人で黒板全面にぎっしりと字を書いているところを見た。誰もいない教室で、K先生は、生徒たちの良心に何かを訴える文章を、切々と、チョークで黒板に刻んでいた。私は、見てはいけないものを見たような気がして、すぐにその場を離れた。先生が何を書いていたのか、私は覚えていない。ただ、あの時のK先生の暗い横顔は、今でも覚えている。翌朝のホームルームで、それを見た高校生たちが何を感じたのか、私は知らない。

そんなK先生が校長になるとは、面白い世の中、面白い母校だと思う。