「おやじの会」のスタート

私が、子供の小学校の「お父さんの会」に参加しているということは、何度かこのブログに書いた。

「お父さんの会」は、日本中、かなりの地域に広がっている。「おやじの会」と呼ぶ地域もある。

しかし私は、この「会」が始まったきっかけを知らなかった。

朝日新聞からの抜粋である。

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学校見守り23年 おやじの会に幕


「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」

遺書を残し、同中(区立中野富士見中学校)2年の鹿川裕史君が命を絶ったのは86年2月のことだった。生前に級友が「葬式ごっこ」をし、その際使った追悼の色紙に担任ら4教諭が署名していたことも分かった。

学校に「廃校にしろ」などという抗議、批判が殺到した。学校の中はもちろん、保護者も疲れ切った。当時PTA会長だったのは矢口正行さん(67)。「学校は地域の核。学校を守りたい」と矢口さんが、周囲の父親たちに「おやじの会」の立ち上げを呼びかけた。事件の翌月には会ができた。

(朝日新聞 2009年3月21日夕刊)
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全国の「おやじの会」の発祥地となった中野富士見中では、生徒との交流行事を数多く主催したという。夏休みに都内を一晩中歩き続けるナイトウォーク、年明けのもちつき大会、新入生を歓迎するグリーンウォーク。次第に、子どもたちの顔と名前が一致するようになっていったという。「おやじ、先生、子どもたちが顔見知りになるとともに、荒れていた学校が落ち着いていった。」(朝日新聞)

発祥の地となった中野富士見中の「おやじの会」の会員は、現在35名ほど。しかし、少子化で学校が統廃合されるため、この「おやじの会」は解散を決めた。「学校に土足で踏み込まない」という原則を守り、学校の方針を温かくサポートし、地域と子どもたちを守り続けた23年の歴史が、今幕を下ろそうとしている。