私があまりに夢中になって本を読んでいるので、子どもが「何読んでるの?」と聞いてきた。
「坂の上の雲」と答えると、娘が「崖の上のポニョみたいなお話?」とトンチンカンな質問をした。語感が多少似ていたらしい。
実は私が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に取り組むのは、二回目だ。中学生の頃一度読み始めたが、第1巻が終わったくらいで飽きた。そこで、途中を全て飛ばして、最後の日本海海戦の話だけ読んで終えてしまった。
その後、通読したいという気持ちはあったが、機会なく今日に至っていた。
きっかけをくれたのは、最近結婚した友人のアンドリュー氏である。結婚式の2次会で、彼のプロフィールが紹介されていた。その中で、尊敬する人物の名前として、「秋山好古」の名前があった。坂の上の雲の主人公の一人で、日本陸軍騎兵部隊を創設し、ロシア最強のコサック騎兵と激闘を繰り広げた人物である。その名前を見て、これ以上「坂の上」を読まずに先送りすることは、人生を先送りすることに等しいと悟った。
読み始めると止まらず、一気に読んだ。中学生の頃はつまらなく感じた箇所も、今は興味をもって読み進められる。読了し、深く感じるところがあった。読後感を、忘れないうちにメモしておきたい。
1)社会経済の進歩を信じた明るい日本人
全編を通して心を打つのは、「上り坂」を一生懸命に歩く、全ての日本人の姿である。明治維新を経て、近代国家を構築したものの、内政上も、防衛上も脆弱な地位に置かれていた日本。その日本人が、来るべき戦争に備えて、数十年をかけて、必死で力をつけていく。
軍事だけではない。文学でもそうである。「坂の上の雲」の前半の主人公でもある正岡子規は、限られた人生の中で、俳句・短歌のイノベーションを志した。登場人物の誰を見ても、日本が「進歩」するという強い確信を持っているのがわかる。
日本が進歩するという確信。これは、「楽観主義」という言葉では、表現できない。そんな漢字があるのかわからないが、「信進主義」とでもいうのが適切だろうか。今の日本に感じられないこの明るさが、「坂の上の雲」の全編を貫いている。
2)自分の役割を果たそうとした人達
一人一人の日本人達が、この「上り坂」を懸命に登った。例えば、主人公である秋山好古は、軍人になりたくて兵学校に行ったわけではない。金がなく、他に教育を受けられる場所がなかったからだ。その中で、偶然、騎兵部隊の構築を任される。それが彼の生涯のミッションとなった。陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人が「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と評された通り、シンプルな人生だった。
一方で秋山好古は、福沢諭吉を生涯尊敬し続けた。退官後、自ら強く望んで、地元の中学校の校長になったのは、幸せな晩年だっただろう。
弟の秋山真之は、学友であった正岡子規との交流を通じ、文学の道を志す。しかし、家庭環境がそれを許さず、結局海軍に進み、留学して海軍の戦略を学び、そして連合艦隊の「頭脳」そのものとして、日本海海戦の完全勝利へと海軍を導く。
しかし、感受性の強すぎた秋山真之にとって、軍隊は酷な場所だった。会戦中、艦上での地獄絵図を目にした真之は、引退して仏門に入ろうとする。しかしそれも許されず、仏門に入ることを自分の息子に厳命する。降伏した敵艦への砲撃を必死で止めさせようとする真之の姿は、涙を誘うものがある。
一方で、軍人でありながら、彼の文章は、「秋山文学」と言われるほどの評価を後世受けることになる。
日本海海戦に出撃する直前に打電した「警報ニ接シ、聯合(れんごう)艦隊ハ直(ただち)ニ出動、之(これ)ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪(なみ)高シ」は、軍事的な報告でありながら、まるで短歌のような趣を湛えている。そして連合艦隊解散の辞として、東郷司令長官のために秋山真之がドラフトした「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」のスピーチは、米ルーズベルト大統領が全文を翻訳させて、米海軍に配布したという。
他にも、「坂の上の雲」には、日本の様々な「前進」のために必死で自分の役割を果たそうとする群像が描かれている。真之の親友である正岡子規は、病床にありながら日本の短歌・俳句に革命を起こそうとした。気象台の予報官は、来るべき海戦に備えて必死で天気予報の精度を高めた。海軍技師の下瀬雅允は、「下瀬火薬」と言われる効果的な爆薬を開発し、日露戦争の勝利に大きく貢献する。そしてロシアで反皇帝の革命勢力に多額の資金を供与した明石元二郎大佐は、ロシアの内政を混乱させ、戦争の早期終結に貢献する。
司馬遼太郎は、明石元二郎大佐の活動を描くのに、まるまる一章を費やし、以下の言葉を贈っている。
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「坂の上の雲」は、同じ司馬作品である「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」とは異なり、英雄的な個人を主人公にした物語ではない。むしろ、若い「日本」という国家と、それを必死で支えた普通の人達を主人公にした、ノンフィクションと考えた方が良いように思った。だから、必然的に、「今日本が上るべき『坂』は何か」「自分が与えられたミッションは何か」ということを、考えざるを得ない。
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
「坂の上の雲」と答えると、娘が「崖の上のポニョみたいなお話?」とトンチンカンな質問をした。語感が多少似ていたらしい。
実は私が、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に取り組むのは、二回目だ。中学生の頃一度読み始めたが、第1巻が終わったくらいで飽きた。そこで、途中を全て飛ばして、最後の日本海海戦の話だけ読んで終えてしまった。
その後、通読したいという気持ちはあったが、機会なく今日に至っていた。
きっかけをくれたのは、最近結婚した友人のアンドリュー氏である。結婚式の2次会で、彼のプロフィールが紹介されていた。その中で、尊敬する人物の名前として、「秋山好古」の名前があった。坂の上の雲の主人公の一人で、日本陸軍騎兵部隊を創設し、ロシア最強のコサック騎兵と激闘を繰り広げた人物である。その名前を見て、これ以上「坂の上」を読まずに先送りすることは、人生を先送りすることに等しいと悟った。
読み始めると止まらず、一気に読んだ。中学生の頃はつまらなく感じた箇所も、今は興味をもって読み進められる。読了し、深く感じるところがあった。読後感を、忘れないうちにメモしておきたい。
1)社会経済の進歩を信じた明るい日本人
全編を通して心を打つのは、「上り坂」を一生懸命に歩く、全ての日本人の姿である。明治維新を経て、近代国家を構築したものの、内政上も、防衛上も脆弱な地位に置かれていた日本。その日本人が、来るべき戦争に備えて、数十年をかけて、必死で力をつけていく。
軍事だけではない。文学でもそうである。「坂の上の雲」の前半の主人公でもある正岡子規は、限られた人生の中で、俳句・短歌のイノベーションを志した。登場人物の誰を見ても、日本が「進歩」するという強い確信を持っているのがわかる。
日本が進歩するという確信。これは、「楽観主義」という言葉では、表現できない。そんな漢字があるのかわからないが、「信進主義」とでもいうのが適切だろうか。今の日本に感じられないこの明るさが、「坂の上の雲」の全編を貫いている。
2)自分の役割を果たそうとした人達
一人一人の日本人達が、この「上り坂」を懸命に登った。例えば、主人公である秋山好古は、軍人になりたくて兵学校に行ったわけではない。金がなく、他に教育を受けられる場所がなかったからだ。その中で、偶然、騎兵部隊の構築を任される。それが彼の生涯のミッションとなった。陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人が「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と評された通り、シンプルな人生だった。
一方で秋山好古は、福沢諭吉を生涯尊敬し続けた。退官後、自ら強く望んで、地元の中学校の校長になったのは、幸せな晩年だっただろう。
弟の秋山真之は、学友であった正岡子規との交流を通じ、文学の道を志す。しかし、家庭環境がそれを許さず、結局海軍に進み、留学して海軍の戦略を学び、そして連合艦隊の「頭脳」そのものとして、日本海海戦の完全勝利へと海軍を導く。
しかし、感受性の強すぎた秋山真之にとって、軍隊は酷な場所だった。会戦中、艦上での地獄絵図を目にした真之は、引退して仏門に入ろうとする。しかしそれも許されず、仏門に入ることを自分の息子に厳命する。降伏した敵艦への砲撃を必死で止めさせようとする真之の姿は、涙を誘うものがある。
一方で、軍人でありながら、彼の文章は、「秋山文学」と言われるほどの評価を後世受けることになる。
日本海海戦に出撃する直前に打電した「警報ニ接シ、聯合(れんごう)艦隊ハ直(ただち)ニ出動、之(これ)ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪(なみ)高シ」は、軍事的な報告でありながら、まるで短歌のような趣を湛えている。そして連合艦隊解散の辞として、東郷司令長官のために秋山真之がドラフトした「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」のスピーチは、米ルーズベルト大統領が全文を翻訳させて、米海軍に配布したという。
他にも、「坂の上の雲」には、日本の様々な「前進」のために必死で自分の役割を果たそうとする群像が描かれている。真之の親友である正岡子規は、病床にありながら日本の短歌・俳句に革命を起こそうとした。気象台の予報官は、来るべき海戦に備えて必死で天気予報の精度を高めた。海軍技師の下瀬雅允は、「下瀬火薬」と言われる効果的な爆薬を開発し、日露戦争の勝利に大きく貢献する。そしてロシアで反皇帝の革命勢力に多額の資金を供与した明石元二郎大佐は、ロシアの内政を混乱させ、戦争の早期終結に貢献する。
司馬遼太郎は、明石元二郎大佐の活動を描くのに、まるまる一章を費やし、以下の言葉を贈っている。
ロシヤ側によって書かれたいかなるロシヤ革命史にも、明石元二郎の名は出ていない。坂の上の雲)
が、ロシヤ革命は、明石が出現する時期からくっきりと時期を劃して激化し、各地に暴動と破壊事件が頻発したということはたれも曲げることはできないであろう。
「明石はおそろしい男だ」と、明石の味方であるはずの東京の参謀本部でさえ、明石という男を不気味がるむきもあった。性格が、そうであった。目的にむかって周到に配慮し、構想し、実行についてはあらゆる機会をのがさず、機敏に行動し、ほとんど狂人のようにすすんでいくというこの性格は、すべての成功者がそうであるように偏執的でさえあった。」(
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「坂の上の雲」は、同じ司馬作品である「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」とは異なり、英雄的な個人を主人公にした物語ではない。むしろ、若い「日本」という国家と、それを必死で支えた普通の人達を主人公にした、ノンフィクションと考えた方が良いように思った。だから、必然的に、「今日本が上るべき『坂』は何か」「自分が与えられたミッションは何か」ということを、考えざるを得ない。
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
コメント
コメント一覧 (2)
おぉ
みんなが好きな坂の上の雲
崖の上のポニョは完全に韻を踏んでる
意図的な韻かも
読みたい気持ちになってきた。わくわくするような...
でも司馬遼太郎の文章はちょっと苦手なんだよな...
来週のランチ、楽しみにしています。