私のボスは、阪神ファンで、オフィスには阪神タイガーズのカレンダーが掛けてある。しかし阪神ファンである以上に、強烈なアンチ巨人で、長嶋茂雄氏を含めて、巨人のOBはほとんど嫌いなようだ。

そのボスが、「王だけは好きだ」と言っていた。確かに、日本人であれば、いや野球を愛好する人であれば、王貞治氏を嫌いになることは不可能と言ってよい。

西武ライオンズの元監督、広岡達朗氏は、ジャイアンツ時代の同僚だった王貞治氏について、こう語っている。

(王選手と一緒に、シーズンオフに居合の稽古に通ったエピソードを紹介した後で)
「いまの人なら、『王選手くらいの大選手になれば、なにもそんなことまでしなくても十分にいい成績を残せるではないか』というだろう。しかし、王選手は人がいうほどの天才選手ではなかった。」


「当時の彼の練習ぶりはまことにすさまじく、この練習が実を結ばないなら、この世には神も仏もないのかと思わせるほどのものだった。王選手は、人の数倍練習することによって、自己を成長させたのである。」


「いまの選手は、特打を30分もやれば、息切れがして、『もういいよ』というだろう。しかし、当時の王選手は、30分でつかめればそこでやめるが、納得がいかなかったら、いつまでだってやめようとはしなかった。それほど、一打一打に気迫を込めていた。」


(広岡達朗「積極思想のすすめ」講談社文庫)

私はバットを振る人間ではないが、ビジネスマンとして、気迫を持って一時間一時間を大切に生きていきたい。

痩せこけた頬で試合を見つめる、昨今の王監督の厳しい表情を見るたびに、上記の広岡氏の文章を思い出していた。

そんな王監督を、来季からは見れなくなるのが、寂しい。