東京喜田マラソン(42.195km)を走った。完走はしたが、タイムは4時間58分31秒。目標としていた4時間半は、切れなかった。疲労困憊、バテバテのゴールだった。

朝8:30に集合し、9:00に着替えを済ませてストレッチを始めようと、足を踏み出した。その瞬間に、「ガツッ!」と強烈な打撃が、左足の脛に走った。下を見ると、高さ40cmの鉄柱が私の邪魔をしていた。足が切れて、血が流れている。救護テントを探したが、まだ誰もいない。スタートする前に怪我をするような間抜けなランナーは、普通いないのである。私は、血が固まるのを信じて、走り始めた。

最初の1時間は快調だったが、時折横腹が痛くなった。痛くなった箇所を強く抑え、深呼吸しながら走ると、一時的に痛みが散っていく。それを繰り返しながら走った。横腹が痛くなるのはオーバーペースの証拠だと言うが、非常にゆっくり走っているにも関わらず横腹が痛むとは、文字通り「片腹痛い」。ちょうど一時間で、最初の10kmを走った。

10kmを過ぎると、もう横腹の痛みはなくなった。15kmくらいまで、快調な走りが続いた。しかし20km付近から、急にふくらはぎに筋肉痛を覚え始めた。42kmまで、足が持つのだろうか・・・。疑問を感じつつ走った。

20kmくらいで、急激にバテた。25-35kmは、地獄のような苦しみだった。隣をきれいな荒川が流れており、土手には可憐な花が咲き乱れている。天気はよく、適度な風が吹いていた。なんという美しい風景、美しい地獄だろうか。

なぜこんなに苦しいのかと、考えた。前回出場した東京マラソンの時と異なり、ヒザはそれほど痛くない。ふくらはぎは痛いが、本当にひどい時は、筋肉がつって痙攣する。一週間前のフットサルの時が、そうだった。足がつったら、走るのを止めて歩けばいいのだ。つるまでは走れるはず。

なら、なぜ苦しいのか。脱水症状だろうか。熱中症だろうか。私は水をガブガブ飲んだ。

残り、まだ15kmある。その事実が、耐えられないほど重かった。

やがて足が止まり、もはや走れず、歩き始めた。しかし苦しさのあまり、それ以上歩くこともできず、たまらずコース脇の木陰に身を投げ出して、大の字になって寝た。

一瞬、意識が飛んだ。意識を失ったわけではない。仕事のことだったか、家族のことだったか、マラソンに集中していた意識が「飛んだ」感があった。ひょっとしたら、一瞬寝ていたのかもしれない。3分か、5分か、我に返った瞬間、自分は立ち上がれる気がした。私はノロノロと走り始めた。

なぜ苦しいのか考えた時に、突然日経新聞で読んだ玄侑宗久氏(臨済宗)の「禅的生活のすすめ」を思い出した。

「禅的生活とは言い換えれば、予断を持たずに今の足場に立つということです。予断を持つから苦しみが生まれる。」

「私も若いときは中期目標で苦しみましたが、今は目先のことと、はるかな目標だけを持つようにしています。」

(「死んだらどうなるのでしょう?」という問いに対して)「なるようになります。心配しなくていい。予断が苦しみを生むのです。
(日経新聞2008年2月14日夕刊「禅的生活のすすめ」)

あと15km、苦しまなければいけないという「予断」が、私を苦しめているのだろうかと、考えた。

どうすれば、この苦しみを乗り越えられるのか。その時に頭をよぎったのは、大好きなマンガ「菜緒子」の一コマだった。主人公の雄介の仲間である佐々木が、脱水症状から意識障害に陥る。苦しんでいる佐々木の脳裏をよぎるのは、雄介の言葉だった。

「俺、苦しいときは父ちゃん、母ちゃん、兄ちゃんって言いながら走るんだ。そうすっと、気が紛れて、意外と楽になるよ」

そして佐々木は、寺の住職の息子である佐々木は、心の中で叫ぶ。

「南無妙法蓮華経!」

駅伝マンガ「菜緒子」の中でも、屈指の名場面である。

私は頭の中で歩数を数え始めた。

1-2-3-4-5-6-7-8
2-2-3-4-5-6-7-8
3-2-3-4-5-6-7-8

頭の中に娘が現れた。毎朝、娘とジョギングする前に、一緒に準備運動をする。その時に娘が、上記のようにカウントをする。8までで区切ると、4拍子のリズム感に合って、数えやすい。

1から8まで、64歩進んで、一周。私は、二周分走って、一周分は歩くことにした。その先の苦しみは、できるだけ考えないようにして、ひたすら数を数える。今回の目標だった4時間半は切れないが、このペースならギリギリ、5時間でゴールできるはずだ。

今考えると、あれがターニングポイントだった。

35kmを過ぎると、身体は苦しいが、精神的には楽になる。カウントを続けながら、41kmに達した。ゴールの巨大なバルーンが見えてきたときの喜びは、忘れがたいものがあった。

タイムは、4時間58分31秒だった。

ゴールした後、疲労困憊して、歩けなかった。クーリングダウンも、ストレッチもできない。ゴールで渡されたポカリスエットを一気飲みし、バナナを一気食いし、リンゴを丸かじりした。妻に電話をしなければ・・・と思うが、携帯電話を置いてある場所まで、歩けない。

その時、ゴール付近にたまっていたランナー達の間で、大きな拍手が沸きあがった。誰がゴールしたのか?そう思って目を向けたら、巨大なカエルだった。

この暑い中、全身カエルの着ぐるみを着て、黙々と走る人がいた。東京マラソンのように、沿道の観客が多い大会なら、走りがいがある。しかし東京喜田(北)マラソンでは、ほとんど観客がいない。ただ川の流れる横を、カエルが走っていく。私が感動のあまり、手を叩いて手を振ったが、カエルは全く無反応だった。視野が狭いのだろうか。何のために自分が走っているのか私ですら疑問に感じたものだが、彼(彼女?)は「何のために自分は重たい着ぐるみを着て走っているのだろう」と感じなかっただろうか。しかも、5時間半ほどでゴールしたのは、すごいとしか言いようがない。中にどんな人が入っていたのか、非常に興味がある。

自宅まで何とか帰宅して、つらつらと考えた。今回は練習量をコントロールしたため、ヒザには大きな痛みは感じなかった。しかし、その代償として、スタミナ切れが激しかった。やはり、20kmほどのランニング練習は何本かやって本番に臨む必要があった。

マラソンは、もう一生走りたくない。完全燃焼したから、悔いはない。

現時点では、そう思っている。しかしもう一週間も経てば、きっと悔しさがこみ上げてきて、また走りたくなるだろう。

以上、駄文長文で恐縮だが、自分が走った証として、あえてサーバにこの文章を残しておきたい。