少し前の記事だが、日経新聞のインタビューを受けた、玄侑宗久氏(臨済宗妙心寺派福聚寺副住職)の回答が、心に残った。

玄侑氏は、「予断を持たない生き方」を提唱する。

禅的生活とは言い換えれば、予断を持たずに今の足場に立つということです。予断を持つから苦しみが生まれる。明日はこうなると思ってそうならなかったら、不愉快になるでしょ。先のことは分からないから面白い。世の中は思うようにならないのが当たり前。そこに人生の妙味がある。想定外のことが起こると誰しも心が揺らぎますが、この揺らぎを昔の人は『風流』と呼んだ。揺らぎを楽しめる人こそ風流な人なのです。そういう心構えなら、困難があっても何とかなります」
(日経新聞夕刊2008年2月14日)

長々と引用したのには、わけがある。私はグロービスの経営大学院で、時々ベンチャーマネジメントというクラスの講師を担当している。自分が「投資家」から「経営者側」に転じた今、我が身を振り返れば、実はベンチャー経営者として一番重要なのは、自分の「気持ち」のマネジメントなのではないか…という気がするのだ。

その意味で、玄侑氏の説く「揺らぎを楽しむ」というマインドは、重要だと思う。

玄侑氏は、さらに言う。

今という一瞬を楽しむのが禅の考え方ですが、人間はコーヒーを飲むというような目先の目標では飽きたらず、その先を目指す。優しい人になりたいという大きな目標もあれば、いい学校に入りたいとか仕事の業績を上げたいという中期目標もある。厄介なのは中期目標です。これが人間の生き方を人工的にし、不安な気持ちにもさせる。
(同上)

私達は、欧米的なパラダイムの経営学を学んだ。このパラダイムの元では、合目的に打ち手を考え、システマチックに行動する。将来の計画を立てた上で、定量的に達成度を把握する。1年後の目標はもちろん、3-5年後の中期計画も必須である。

一方で、より東洋的なパラダイムも存在する。このパラダイムでは、大きな目的だけ設定し、後は流れに任せる。私の好きな、「愚公山を移す」という故事は、まさにこのパターンだ。「邪魔な山をどかす」というビジョンだけ持っていて、後は天の助けを信じて、一歩一歩、歩みを進める。途中のプロセスやスケジュールは、ほとんど意識していない。

さらに言えば、大目標も、中期目標も、最初は持たないでいいのかもしれない。EPSの厳社長に創業期のお話を伺った時に、厳社長は「先のことは、何も考えていなかった」とおっしゃっていた。ただ、顧客の要求に応えるのみ。水の流れのように自然な起業プロセスで、玄侑氏の言う「禅的」な境地に近い。

「欧米的」と「東洋的」というのは、あまりに乱暴な二元論かもしれない。でもとにかく、この二つをどう止揚させ、統合していくかが、ベンチャーマネジメント発展のための鍵ではないかと思う。

具体的にどうしたら良いのか、今の私には、さっぱりわからない。30年後くらいには、答えが見えているかもしれない。